将棋を35年振りに指そうと思った理由

天才中学生棋士現る、というニュースが流れても、特に将棋を復活させようと思っていなかったのだけど、ふとしたことから復活させることに。外的要因よりもやっぱり自発的な内的要因で動くものである。

幼稚園の頃に将棋を父親から教えてもらい、父親とばかり打っていた。

その頃、加藤一二三さんの影響か父は棒銀戦法が好きで、わたしは防御策を考えるのが大変で、ヤケクソになってこちらも棒銀で対抗したら勝ってしまった、というのが原体験としてあります。

今みたいにネット対戦もなく、将棋を指す相手がずっと父親しかいなかった。ある日、近くの公民館で将棋教室があるから通ってみては、と親から提案されてドキドキしながら行ってみた。

そこは、最初に少し解説があって、その後は生徒同士で実戦する形式だった。

初めて行った日、先手で2六歩と指したとき、講師に怒られた

「まずは7六歩を指しなさい。それから矢倉を組みなさい。矢倉を組み終わってからが将棋です。」

と必ず相矢倉で対戦させられた。

これはこれで一つの形だと思うのだけど、子供心にどうして自由に指したらダメなんだろう、と疑問に思った。相矢倉にするなら、最初から矢倉ができた状態で指し始めればいいじゃないか、と。相掛かりや棒銀急戦が好きだったわたしには衝撃的だった。

おそらく3回くらいは我慢して通ったのだと思うが、それからはピタリと行かなくなった。自由にさせない将棋なんて面白くない。その時を最後に駒を持つことはほとんどなかった。

子どもも中学生になり、部活以外の時間に学校で将棋を指すこともあるのだとか。「お父さんは将棋指さないの?」と聞かれて、過去の話をするのもバカバカしく、駒の動かし方は知ってるのでやってみようか、と返した。

勉強の合間に、雨が降って出掛けられない日に、ゆっくりボードゲームをしながら親子で会話をするというのもいいものである。大人になると子どもの頃は見えなかったものが見えてくるようになっていた。

もちろん、将棋以外にもスマホゲームやPS4なんかもある。でも、同じ条件で、頭脳だけを頼りに、手で駒に触れながら遊ぶゲームは面白い。お金を出せば強くなれる訳じゃない。

いつか私も歳を重ねて元気にランニングできなくなる日が来る。そんなとき、将棋板と駒だけで頭と時間を使い人と語り合える。そんなインドアの趣味を持ってもいいかな、と思う。

それに、今は将棋の定石こそあれど、居飛車でも振り飛車でも何をやっても誰も文句を言わない。自由に指せるようになっている。もちろん、わたしが通った将棋教室が特殊だった可能性はある。むかしから将棋は自由だったのだ。

自由だからこそ打てる手がたくさんあって、覚えるのも大変だろうけど、少しずつやって、将棋ウォーズで初段を目指して勉強していきたい。

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