読書:我々はなぜ我々だけなのか〜自分の成り立ちを辿る旅

読書(社会その他)

我々はなぜ我々だけなのか」という人類史に関する本を読みました。ここでいう「我々」とは日本人や大和民族ではなくホモ・サピエンスのことです。

 

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なぜホモ・サピエンスだけなのか

今は地球上にホモ・サピエンスしか残っていないが、それ以前にはジャワ原人、北京原人、ネアンデルタール人など多種多様な人類が存在していた。

それが最終的に「我々」ホモ・サピエンスのみが残ることになってしまった。それはなぜなのか。ジャワ原人の解析で世界的権威である国立科学博物館のDr.海部の最新調査で紐解かれる、科学的事実と仮説の積み重ねによる人類の探求はわくわくしっぱなしでした。

私が30年前に義務教育で習った人類進化の歴史には、アウストラロピテクス、ネアンデルタール人、ジャワ原人、北京原人くらいしか登場せず、それらは別の人類というより、現在の新人類に向かって徐々に進化する過程のような位置付けだったと記憶しています。

最新の発掘や研究の成果によって人類がどのような歴史を経て今に至っているかが分かってるのは本当に楽しいです。

 

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ホモ・サピエンスは侵略者なのか

が、一方、本書でも触れられているが、人類がホモ・サピエンスのみになってしまったことは、多様な人類が存在した「多様な文化」を消してしまった可能性が高いというジレンマがあるのです。

とくに我々ホモ・サピエンスは残虐で、人類の歴史は戦争の歴史であり、ネアンデルタール人を血生臭く絶滅させたのではないかという疑念を抱いてしまう。ホモ・サピエンスよりもネアンデルタール人が生き残ったほうが地球にとってはよかったのではないか、と。

そのあたりの歴史も少しずつ分かっていくのかもしれないが、アジアを含めてホモ・サピエンスが広がった理由は何なのか。仮に残虐性があって他の人類を滅ぼすような嗜好があったとしても、各地域独自の人類を駆逐してホモ・サピエンスに均質化したのはなぜなのか。

 

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外に出る好奇心と実行する勇気

ホモ・サピエンスは閉じ込められることを良しとせず、得た知識や技術を使って山を超えて海を渡って新しい地平に辿りついたのである。これこそがホモ・サピエンスで均質化された最大の理由であると。まさに好奇心と勇気の塊といえるでしょう。

これは現代社会においても地域の垣根を越えて世界中が均質化されようとしている。外見は人種によって違うが、コンピュータや英語という語学などのソフトウェア面であっさり乗り越えようとしているのである。

ああ、そうか。ホモ・サピエンスは本質的に新しいことに挑戦し続けたいという本能を持っているのかもしれない。同じところに閉じ込められることを良しとせず、常に外に向かい、貪欲に得た知識を活用して、旅を続けることを宿命付けられた人類なのかも。

これからもっと色々なことが分かっていくのだろう。我々の祖先がどうやって海を渡ったかを実証実験するクラウドファウンディングもあるらしい(寄付しようと思ったけど発見できなかった…)。

そして、これらを最先端で研究している科学者が日本人であり、その成果の一端を上野にある国立科学博物館で簡単に見ることができるというのであるから、本当にありがたい話である。

国立科学博物館は東京に住んでいた学生時代には何度も足を運んだし、いまも息子が東京に行きたいという最大の理由は国立科学博物館であり、特別展と常設展で丸1日を過ごすほどである。

本書を読んだら、また行きたくなってきた。今までよりも原人ルーシーを見る目が変わりそうである。過去を研究して知るということ、こんなにワクワクすることはない。