読書「銀河鉄道の父」

銀河鉄道といえば「夜」か「999」か。

999も好きだけど、やはり「銀河鉄道の夜」も外せない。

でも、なんか銀河鉄道の夜は終わり方が中途半端な気がしていた。どうしてこんな終わり方なんだろう。短編小説にしては長く、長編小説にしては短い。ジョバンニとカンパネルラは最後、どうなってしまうのだろう。

そんな小説の続きを自分で考えさせるような、そんな少しモヤモヤ感が残る本だった。

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宮沢賢治は意外にもダメ人間だった

そして、宮沢賢治という作者は知っているけれど、その人生や生き様はよく知らなかった。

岩手に旅行した際、宮沢賢治記念館には立ち寄った。けれど、だからといって宮沢賢治のすべてが分かったわけではい。むしろ、イーハトーブの名付けた岩手は、決してそんな街に見えないように感じた。

いったいどこに理想郷を見出したのだろうか。住めば都、ではないが、その理想郷はどこにでも目の前にあるんだよ、という比喩なのだろうか。

本書はその宮沢賢治の父親視点で書いたものである。

宮沢賢治は死後になって評価された人だったことを遅まきながら知った。基礎知識といえばそれで終わりなのだけど、文学を読むときに、その人の背景にある人生まですべて抑えているかと言われると、それを知らないと味わえない小説なら、それはそれで面倒だと思う。

もし、もっと賢治が生きている早い段階から評価されていれば、銀河鉄道の夜にも続きがあったのかもしれない。

宮沢賢治はその作品とともに「雨にも負けず」の詩が有名なので、さぞ立派な人なのかと思いきや、その一生はそれなりにダメ人間ぽい感じである。

幼少期は悪戯小僧、小学校では優秀だったが中学では通用せず、山師のような仕事をしたいと言ったり、宗教にハマったり

なんだか金持ちに生まれた、精神が未熟なまま大きくなってしまった子どもという感じである。何一つまともにやっておらず成熟していない。でも、口だけは達者なのである。

あまりにも父親すぎる

賢治の父親は甘い。祖父が「あまりにも父親でありすぎる」と評したほど甘い。あの封建的な時代、今からは想像もできない家父長制の中、賢治を溺愛したい父親の葛藤がすごく描かれている。父親でありながら家長である。感情ではなく理性ですべてを抑える。それはきっと大変だっただろう。

その甘さが賢治の人格を形成したのかは分からないが、厳しそうに見えて甘い。

でも、父親になって息子がいると分かる。厳しくしようと思ってもどこかで甘くなってしまうのだ。妻に言わせると「肝心なところが甘い」らしい。

最初は五体満足で健康であったらいい、と願うだけなのに、少しずつ期待が大きくなり、願望も失望が入り混じりながらも甘く育ててしまう。

だから、賢治の父の気持ちはよくわかる。時代が違っても父親は父親なのである。

でも、少なくとも自分よりは長生きしてほしい。そう願いながらも賢治を毅然と見送った父親の姿は立派であった。感情を理性で押さえつけ、成すべきことを成す、というところに最後のプライドを感じた。

でも、親より先に死んでしまうことほど親不孝なものはない。少なくとも自分より長生きして、自分を超えていってほしい。父親とはそういう生き物なのである。それは時代が変わっても息子がどんな人物であっても変わらない普遍的なものなのかもしれない。

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