読書 孤高の人 新田次郎

雑記

 

hontoの電子書籍版で「孤高の人」を購入。文庫版でも上下巻にまたがって分厚い本は電子書籍でさっと読むのに向いていると思う。

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孤高の人 あらすじ

昭和初期に実在した加藤文太郎氏をモデルにした登山小説。登山を始めるきっかけから、最後の北鎌尾根にて遭難・死亡するまでの半生を描いたもの。

一人が好きで普段から無口、愛想を振りまく笑顔は他人を誤解させてしまう。

そんな加藤文太郎氏が企業の研修学生として寮生活を行い、同僚から教えてもらった里歩きに目覚め、夏山登山から冬山登山へと徐々に困難な道を歩んでいく。

その最終目標はヒマラヤであり、そのために貯金もしてトレーニングをしてきた。

本来は気乗りしていなかったパーティを組んでの北アルプスの北鎌尾根踏破。人との繋がり、社会情勢、寄せられる会社からのプレッシャー、妻と子、様々な重圧の中で選んだ選択が最悪の結果を招くことになる。

 

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孤高の人 雑感

六甲山の近くに住んでいながら、六甲山全山縦走は何度もやっていながら、加藤文太郎氏のことが書かれた「孤高の人」は手つかずであった。

六甲山全山縦走は加藤文太郎氏が初めて実施したと言われ、本書にも出てきているが、早朝に登山を始め、宝塚まで縦走し、夜には徒歩で神戸まで戻ってきていたという。

六甲山全山縦走は50数キロと言われているが、恐らく実際には45km前後であろう。しかし、今のように登山道が整備されていない状況で、全山縦走を楽々走破するのは驚愕である。

加藤文太郎氏はセンスや才能の人ではなく努力の人である。

もともと人付き合いが苦手だった彼が、里歩きと出会い、少しずつ山に惹かれていくのだが、その過程で仲良い知人はことごとく死別したり会社を辞めてしまったりと、不可抗力なのに離れて行ってしまう。

その結果、より一人で内側に籠もるようになり、そんな彼の心の拠り所が山だったのであろう。

しかし、当時の冬山登山はお金を払ってガイドを雇い山小屋を利用するのが常識であったが、彼は決死でガイドを雇うことなくすべての登山を一人で行う、いわゆる「単独行」を実施していた。

その結果、旧来の山登りを重視する人たちからは煙たがられ、名指しで批判されることもあった。そして、それがまた彼を一人にしてしまう。

そんな中、結婚して妻子がいて孤独ではないことの楽しさを知ってしまったのか、あるいは自分を慕っていた宮村の最後の頼みを断れなかったのか、上司の影村に対する意地なのか、厳冬期の北鎌尾根に行ってしまう決断をした理由は何だったのだろうか。

現地に着いてからも、いつでも引き返すことはできた。いや、それでも、自分一人なら何とかなるという絶対的な自信と信念があったからなのか。慢心か、油断か、おごりか、焦りか…

なぜ彼は北鎌尾根に行ってしまったのか。その決断はなぜだったのか。読み終わってもモヤモヤしている部分である。

 

山は自分を裸にしてくれる。

その孤独の中で自然と向き合うことで、今まで見えていなかったもの、自分自身を見つめ直す時間をくれるのだろう。

自分の肉体と精神の限界を山は教えてくれる。山は優しくもあるけど厳しくもある。

単独行にはそれなりのリスクが伴う。しかし、やはり自分を見つめるのであれば単独で行くべきであろう。

そのリスクを最小限に抑えるための準備や装備も、耐えきれる肉体と精神の準備も当然必要である。

まずは週末に六甲山全山縦走にでも出かけようか。

いまの自分自身の強さも弱さもきっと山が教えてくれるから。

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