読書「集中力はいらない(森博嗣)」必要なのは発散力と思考力

読書(ビジネス書)

大学で研究しながら「すべてがFになる」などの小説を執筆して小説家デビュー後、いまは専業の文筆家となった森博嗣氏による仕事論というか物事の捉え方を書いた一冊なのだが、正直、誰でも真似できるものではない。しかし、少しは真似できそうな部分もありそう。

一日に1時間しか働かない」という、労働基準法ってなんだっけ?と言いたくなる社畜からすると、何とも羨ましい生活スタイルである。

一日に1時間しか働かない、と聞くと、その1時間は本当に集中して仕事なのかと思いきや、本書のタイトルにあるように「集中力はいらない、不要である。自分自身に集中力はない。」と言い切ってしまう。そして、実は10分キーボードを打っては休む、を6回繰り返して1時間分の仕事をしているのだとか。

スポンサーリンク

人間はそもそも集中して同じ作業を続けるのが苦手な生物である

なぜ人間に集中力が必要になり、集中力の有無が仕事や能力の優劣を決める要素の一つになったかというと、それは元来人間が苦手としている「機械的に同じことをミスなく繰り返す」ことが仕事で要求されてきたからである。

事実、仕事やスポーツで凡ミスをしたときには「ボーっとしていて」とか「集中力が切れて」などと言い訳をすることが多い。

では、集中力をずっと保つことが可能かと問われると、凡人には難しい。だからこそ、実行できる人が評価されるのだ。

必要なのは集中力ではなく発散力と考える力

著者は必要なものは集中力ではなく発散力であると説く。それは、ずっと一つのことに集中し続けるのではなく、たくさんのことの興味を持ち、いろいろなものを見て、考えて、そうすることが最終的に仕事に繋がっていくというアプローチ。

もっとも自分自身で考える時間を持たないと近視眼的な物の見方になってしまい、それはいくら集中して仕事に取り組んでもつまらないものが完成することになる。

この辺の考え方は外山滋比古の「思考の整理学」でも触れられており、やはり研究者や執筆者という職業につくような思考の持ち主は似たような考え方になるのか。

何をどうすべきかをしっかり考えに考えることを前提として、そこに発散力として周囲から得られるものを加える。その先に答えとして新しい考え方や答えが見えてくる。その一瞬にこそ集中力が必要なのである。ずっと集中している必要はない。最後のところで集中力を発揮するのが大切なのである。

普通の会社員でも実践できるか

では、普通の会社員が同じ考え方で生きていけるか自問してみると、これはなかなか難しそうである。

なぜなら一日7〜8時間もの時間をデスクに座り常に何らかのアウトプットを求められ追われている状態なので、ゆっくり考える時間をとることが至難の業だからである。

しかし、かと言って、このような働き方や考え方が絶対に不可能なのかと問われると、そんなことはない、と答えるしかない。

会社での勤務時間が8時間、睡眠時間を7時間として、あと9時間は残っている。通勤や家事・食事などの時間もあるので、それらを差し引くと実質3時間あるかないかだ。

だが、その時間をいかに有意義に使うか、いかに効率的に仕事を終らせられるかが決まるかもしれない。もちろん、通勤時間もボーっとスマホでゲームをしたりするのではなく、読書でインプットを増やしたり思考の時間には使えるはずである。

仕事や副業での一瞬に集中して仕事を終わらせるために、そのほかの時間を有効に使う。この考え方はどんなサラリーマンにも適用できそうだ。ただし、できるかどうかは本人次第ってところか。

仕事はやりたいことではなく売れることをやる

著書の中で最も驚いた点として、自分が好きなことを執筆するのではなく、売れそうなもの・市場(編集者)から求められるものを淡々と書いている、という部分である。

作家ともなれば自分が好きで書きたいことだけ書けば良い、何とも羨ましい職業だと勝手に決めつけていたのだが、著者は「売れるものを書く」ことを仕事として選び、徹底しているようなのである。

好きなことをやるのは二の次で、まずはいかにして食べていくかを確保するという、ある意味極めて現実的な手段としての物書きということに驚く。

しかし、自分がサラリーマンとしてやっているのは単に食べていくためであることを考えると、基本的に「なんのために働くのか」という部分はサラリーマンでも作家のような自営業者であっても同じであろう。

むしろ、サラリーマンであれば自分の会社にいれば勝手に仕事が降ってくるのだが、自営業者だとそうは行かない。発注者が発注しなければ何も書くことができず給料をもらえない。つまり自営業者のほうが厳しいのである。

集中力を長時間維持して同じことを繰り返すのは難しい。だからこそ、様々な角度や視点で色々なものを脳に入力し、普段から考えていることを熟成し、濃縮することでアウトプットにする。そのアウトプット作成時には瞬間的な集中力を短時間で発揮する、ということになるのだと思う。

無理に集中力を維持しようとするのは人間の本来の姿から掛け離れているため、できることをできるときにやる、というスタイルなのである。ただ、それは普段からとにかく考えていなければならない。アイデアが突然天啓のように降ってくるのではなく、それは自らが考えてきた結果としてのアウトプットなのだ。

よりよくアウトプットを生産するための環境つくり

そして、そのアウトプットを的確かつ効率的に実施にするために、自分が最も気持ちよくPCに出力できるための環境を整えることも大切と説く。

具体的には書かれていないが、実質的にはディスプレイ、キーボード、椅子あたりの話になるのだろうが、この環境の整備はなかなか難しい。

自分の部屋とPC用の椅子を確保できるパパが一体全国にどのくらいいるだろうか。私にはそのスペースなどなく、ノートPCを持ってあちこち移動しながらアウトプットしているので羨ましい限りである。

ただ、方法論としては理解できる。やはりタイピングミスがあったりすると短時間に長い文をアウトプットすることは難しい。

会社ではRealForceを使っているので自宅でも使いたいものである。フルサイズキーボードのピッチとRealforceのタッチ感で打ちたい。

自宅のMacBookAirも会社支給のレッツノートCF-SZシリーズでもやはりノートPCでの打鍵速度は落ちてしまう。まあ、ノートPCでもデスクトップと同じ速度で打てる人もいるのだろうから、それは練習不足だと言われてしまうとそのとおりなのかもしれないが、どうしてもタッチミスや打ち漏れが発生してしまい、思考速度とアウトプット速度が一致しない。

必ずしも道具のせいにしてはならないのだが、この辺りの環境改善も今年やってみたいことの一つである。

最後に

一日に1時間だけしか仕事をしない、集中力はいらない、と言っているが、実際には24時間365日しっかり塾講していることから考えるとその時間だって仕事していると言えるような気もする。

ただ、仕事の成果がアウトプットでしか測れない、ということになると一日1時間という計算になるのか。

まったく真似はできないけれど、ずっと集中するのではなく、常にフラットに思考しつつ、最後にがーっとアウトプットするという仕事の仕方、やってみようかと思う。

 

タイトルとURLをコピーしました