読書:単独行者アラインゲンガー〜新・加藤文太郎伝〜(谷甲州)

読書(小説)

 

新田次郎著書の「孤高の人」でモデルとなった登山家、加藤文太郎氏をテーマにしたノンフィクションに近い小説。

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「孤高の人」を読み終わったとき、他にも加藤文太郎氏のことをテーマに書いた本があると知り、読んでみることに。

本のタイトルに「新・加藤文太郎伝」と書いていることからも、おそらく「孤高の人」で決定的になってしまった加藤文太郎氏やその周辺でモデルとなった登場人物へのアンチテーゼとして書かれたことが伺える。そうでなければ、あえて「新」という表現はしないであろう。そこに著者の強い意志を感じる。

では、何が違うのかというと、加藤文太郎氏が寡黙で目標に向かって努力を続ける人であることは変わらない。だが、「孤高の人」と比べるとやはりやや人物像が違う。

  • 神戸の登山会と接点はあり、そこそこ会員との会話も行っていた
  • パーティを組んだのは北鎌尾根が最初ではない
  • 北鎌尾根に向かった槍ヶ岳は最初から4人パーティで案内人は断るように仕向けた

 

「単独行者」の加藤文太郎も同じように寡黙で徹底的に自分を追い込み、自分に足りない物が何なのかを調べ、克服して次の目標に向かっていく。

もっと加藤文太郎は人間臭く、表には出ないが生の感情が強く感じられた。

そこには「登山とは一人でやるものであり、自分のことであれば自分が分かるが、他人のことまでは分からない。人が増えるほどリスクが増える」という強い意思がある。

それにしても、結局、最後の北鎌尾根に向かった理由はよく分からないままだ。案内人を徹底的に拒否し、パーティの仲間とも連携が取れていない状況でも向かう理由はなんだったのか。

他人からの評価を得るために山歩きをするように思えなかったので、功名心や自尊心のためではないと思うが、なぜ途中で止めなかったのか。案内人とも喧嘩別れせずに最低限のサポートを得ていれば、違う結果になったかもしれない。が、それは加藤文太郎氏としては登山として認められないものだったのだろうか。

遭難した二人が死亡してしまったので、本当に詳細な理由や経緯は分からない。

ただ、最強の単独行者を失ってしまったことは惜しいことである。

 

目的や実力が合致していない人とのパーティを組むのは本当に難しい。これは自分でトレイルランをしていても本当に思う。

山に常に真摯に立ち向かい、その優しさも怖さも一人で受け止めるの。

単独行は最も誠実に山に向かう姿なのではないだろうか。

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