四十にして惑わず、どころか四十にして惑いまくりの人生である

雑記

geralt / Pixabay

 

不惑という言葉がある。

かの中国の偉人である孔子が『論語』の中で語っている。

「子曰く、吾十有五にして学に志す、三十にして立つ、四十にして惑わず、五十にして天命を知る、六十にして耳順う、七十にして心の欲する所に従えども、矩を踰えず」

〜私は十五才で学問を志し、三十才で学問の基礎ができて自立でき、四十才になり迷うことがなくなった。五十才には天から与えられた使命を知り、六十才で人のことばに素直に耳を傾けることができるようになり、七十才で思うままに生きても人の道から外れるようなことはなくなった〜

 

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思っていた40歳と違う

四十歳になったら自然と惑いがなくなるのかと思っていた。

子どもの頃に思っていた四十歳は、もっと大人で世の中のことをたくさん知っていると思っていた。

四十歳になったら自然と大人になれるんじゃないかと思っていた。

 

が、四十歳になっても、迷いが消えるどころか、もっと惑いが出てきた。仕事はこのままでいいのか、自分のやりたいことは何なのか、家族は子どもはどうするのか、色んなプレッシャーが降りかかってくる状況に惑いがなくなるどころか、四十にして惑いまくりである。

 

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信長の時代と違う

織田信長が好んだと言われている敦盛の唄、「人間五十年、化天のうちを比ぶれば、夢幻の如くなり」のという寿命が短い時代の話だとすれば、死ぬ少し前になってようやく自分の人生の道筋が分かる、ということなのだろうか。

最近は人生80年とも100年とも言われるようになり、そうすると40歳なんてまだまだ半分くらいである。

そう考えると、まだまだ分かってないことが沢山あり、何をどうすればいいか惑っていても良いのじゃないかと。

 

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人生をもっと気楽に

人生は短いようで長いし、長いようで短い。

四十歳だから惑ってはならない、そんな思い込みをして自分自身を追い込んでしまうのであろう。

だから、もっと楽に、人生惑いまくりながら過ごして行けばいいんじゃないだろうか。

 

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